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初めは栗より半里及ばず「八里半」どまりだったとか。上方で、十三里と称していたのが江戸にひろまったというから、さすが食道楽の関西…おいしさに気付くのもはやい!(^o^)丿。庶民の味も最近は高くなった昨今を思うと…しみじみ〜。
江戸市中町家のある土地にして冬分に至れば焼き芋店のあらぬ所はなし。また、町々木戸際なる番太郎の店にては必ず焼き芋を売る。〜 『絵本風俗往来』より 〜
【ゲイシャガールへの道は一日にしてならず…】
郭や御座敷などの特殊な世界は、その雰囲気を楽しむ醍醐味もあるので、「ことば」なり「小道具」なりの助けを使うことが多い。地方のなまりを隠すための「ありんす言葉」にしてもしかり…。ただ、「時代劇」の場合は、しぐさやしゃべり方が身につかない場合も多く、時代や場の「空気」を醸しだすのはホント難しい…。
ひとくちに、芸者さんといっても、縄張りというか、所属というか、その界隈で雰囲気はずいぶん違う。まどかが扮したものは、「向島」界隈の料亭を「シマ(縄張り)」とする芸者さん…。少し、高めの間延びした返事は、歌舞伎の芸者衆を演じる女形の台詞回しを参考にしているような感じがしないでもない。現在の向島芸者さんは、当然、普通の言葉回しをするそうでげす。(←「〜でげす。」…太鼓もち・幇間=ほうかん/男芸者の言葉)
芸者というオシゴト:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/4840/geisya1.html
(←うそざれんのお座敷とあらば、どこからともなく現れる「金魚奴姐さん」です)
●大江戸花街 前回、「吉原」の遊郭が舞台だったのだが、遊郭と花街は微妙に違う。贔屓筋の違いで、花街にも栄枯盛衰があるというのがおもしろい。あまり、目にする機会がないだけで、知る人ぞ知る、これもまた、現在にも脈々とつながる文化の一環。
・ 葦町(よしちょう:芳町とも)=日本橋の旦那方とその接待相手である幕府の御偉方(おえらがた)がご贔屓筋。
・赤坂=赤坂見附は、四谷見附、牛込見附、虎の門と同様、外堀から江戸城内へと入る防禦の御門があったところで、武家屋敷、社寺など多い場所柄。「あかさかな
夢を見させる 左褄」
・ 柳橋=裕福な商人。幕末期に一番栄えたと言われている。いまは、花街としての機能は果たしていない。
・ 神楽坂=現在でも邦楽の師匠や演奏家、落語家などが住む粋な街。
・ 向島=文化人好み。江戸時代に栄えた歓楽地。
・ 深川=威勢の良い木場の旦那方。場所柄、辰巳芸者ともいう。
・ 浅草=上野広小路芸者…田楽茶屋の酒客の相手、櫓(やぐら)下芸者…芝居小屋周辺の見物人相手、堀の芸者…大門外の田町・山谷堀あたりの編笠茶屋や船宿を出先、など、広い範囲の歓楽街。
・ 新橋(銀座周辺)=観世と金春の能役者の屋敷で働いていた下女が酌婦をするようになって誕生したらしいので、歴史は古い。
明治時代になると、明治政府が東京に本拠を構えたことにより、当然お座敷政治の場も、新橋へと移り、銀座の芸者さんが台頭していくる。薩長出身の政治家にたいして、幕臣に贔屓が多かった既存の芸者衆は受け入れがたく、あまり勢力の強くなかった新橋・銀座界隈の芸者がその相手を一手に担ってきたからではないかといわれている。(銀座通連合会)
吉原には、はじめ男芸者が座を回っていたが、そのうちに女芸者が酒の席に興(きょう)を添える芸人として登場する。もともと、芸者としてのたしなみは遊女が身に付けていなくてはならないものなので、お互いリンクする存在ではあったのだが、素養のない遊女が多くなり、芸者と遊女の役割が分離してきたというわけ。誤解されがちだが、芸者は遊女と違い、身体を売るようなことはしない。芸者に客を取られては、トラブルが一層、増えてしまうため、厳禁とされていたからだ。とはいえ、そこは男と女、売春をする芸者のことを「ころび芸者」・「枕芸者」とよぶ。身持ちの堅い芸者を転ばせることを自慢する通人も現れるようになるなど、かなり際どいお話が残っている。
吉原以外の花街では、たしかに事情は違ってくる。とくに、公認の遊郭ではなかった深川は、宿場でもないため、飯盛り女を雇うわけにもいかない=正式に遊女を雇い入れることができない事情があり、それゆえ、契約の時に男性名義で雇用契約をするという大胆な策略がとられた。つまり、辰巳芸者の「ぽん太」とか「米吉」とか男性名はそういったことからきているようだ。
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